2005年 04月 28日 ( 1 )

義母の故郷POLIへ

最初に・・・結構長文です。読む元気の有る方はどうぞ(^^)。

去年の今日、旦那の伯父のアンセルモおじさん(義母の兄)が亡くなった。で、今日は命日なので義父母と一緒に伯父さんのお墓参りをすることになった。
この伯父さん一家(と言っても、伯父さんはもう居ないけど、残りの家族の人達)が住む町は、義母の故郷のPOLIと言う小さな、小さな町。
山の中にあるくせにPOLIの町は船の形をした町なのだ。
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(2枚の写真を一枚に合成してくれたPallina嬢に感謝!)

この写真に写ってるPOLIは“旧POLI”。ほとんどの建物が1500年から1700年くらいの間に建てられたもの。この写真では分かりづらいかもしれないけど、端から端まで建物と建物がぜーんぶくっついて建てられているのだ。だから、きっと「この建物をつぶして、新しく建て直そう」って言うのが出来ない為にいまだに当時のままの形で残っているんだと思う。

ちなみに故アンセルモ伯父さんの家は、この旧POLIの向かい側にある新POLI地区に有る。この写真も伯父さん宅のベランダから撮った物で、手前の建物を見てもらえば、建物が近代的なのが分かってもらえると思う。

今日はお墓参りに伯父さん一家宅をおとづれる前に行ったんだけど、私にとってイタリアで墓地を見るのは初めて。去年、お葬式には参列したんだけど、お墓に入る手前で車の中で当時1ヶ月だった梅ちゃんのオムツを換えたり授乳したりで、中には入らなかったのだ。
そうそう、去年のお葬式で思い出したんだけど、去年のお葬式はこの写真の奥の方にある教会(とんがった建物)で行われた。d0009639_7514771.jpg
参列した時に驚いたのが、この伯父さんのお葬式にこのPOLIの町の人達全員(だと思う)が参列していたのだ。こういう小さな町では普通のことらしいが、人が一人死ぬと、こうやって親族でもない人達も当然のように式に参列するらしい。車からお棺の下ろされた広場から教会までこの通りをお棺を持って町中の人達と一緒に歩いた。なんか、私一人日本人だったし、たくさんの人達に珍しそうに見られてちょっぴり恥ずかしかった記憶が。お葬式自体に参列するのも初めてだったしね。

話は戻り、お墓参りをしていた時のこと。義父が「こっちに来てごらん」と言うので、着いて行くとそこは“ossario”(納骨堂)だった。義父の説明では、お墓を買うことが出来なかった人や、行き場の無い亡くなった人を一旦埋葬した後、10年後くらいにそこから掘り起こして、白骨化した骨をこの納骨堂に納めるらしい。ちょうど私たちが立っていたところの足元の地下部分に納めるらしい。(ちょっと場所が場所だったし、さすがに写真は控えさせてもらったので、一枚も無くてごめんなさい。)

義父が嬉しそうに、「ほら、この中に骨が入ってるんだよ」と、部屋の片隅に積み上げられていた銀色の箱を持ち上げて、がっさ、がっさと揺らして見せてくれたのには一歩下がってしまった(^^;)。でも、その箱の上にはその人の名前と享年が書いてあったんだけど、なんと1901年に亡くなった人のものだった。100年以上も前・・・。でも、お父さん、揺らさないでよ~。思わずお父さんに「そ、その中には骨が有るんでしょ・・・(汗)」って言っても、「そうだよ」とにっこり(--;)。

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旧POLIの上の写真の通りを下りて行くと、途中に義母の持ち家でほとんど廃墟と化している家が有る。家の手直しをする話も無いことも無いんだけど、天井の一部が壊れているため、上の階の人(この人も別に家を持っているためにほったらかしているらしい)との交渉やら、このPOLI自体が地震発生の可能性のある町な為に、改築するにも法律が色々と絡んでくるために、手直しをせずに今に至っている。
この家は義母が若い頃に住んでいたらしい。結婚してからは、夏のバカンスに使ってたりもしてたらしいが。
今日初めて中を見せたもらったんだけど、それはもうひどい埃。15年もほったらかしの状態だったらしい。ま、それもそうだろう。義父母の年じゃあ、そうそうここまで簡単にこれないだろうし(ローマから70kmくらいの距離だし、交通の便もかなり不便。)
中に置いている物はそれはそれは年代物ばかり(笑)。ちなみに目を引いたのがこれ。
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1950年代くらいに使われていたオーブン付き料理台とでもいうのか・・・な。中を開けるとこんな感じ。
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まず。義母の説明では、右上に有る扉部分は薪を入れて火を焚くところ。で、右真ん中の扉部分はその薪から出る炭が落ちるのを受けるところ。続いて左上扉は火力が一番かかるところなので、パンを焼くのに使っていたらしい。で、その下の(左下扉)部分は、上に比べて火力が少し下がるので、ピッツァやお菓子を焼いていたらしい。
で、薪に火が付いてる間は、このオーブンのすべての部分が伝熱しているために、上の(今は緑のチェックのシートが敷かれているけど)鉄板部分で、普通に料理をすることも出来たらしい。---シートの下は鉄板のようになっていて、そこで直接ステーキを焼いたりすることも出来るし、なべやフライパンを置いて料理することも出来るらしい。上に置いているガスレンジはおそらく後から買って、使っていた物と見られる。
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後、この上の部分の左に見えている銀色の箱型の中では、火が付いている間、熱湯が作られていて、炊事場にお湯の蛇口が無いかわりにここから温かいお湯を使ってお皿を洗ったり色んな事に使っていたらしい。(カルキで中が白くなってしまってるね(^^;)。)

こんな感じで、この万能タイプのオーブンは当時“経済的なオーブン”って呼ばれていたらしい。義母曰く「皆から譲ってほしいってよく言われたものよ」と。

ちなみにこれも台所の一部。d0009639_8385527.jpg

蛇口はさっきも言ったように、水のみ。お湯は無い。蛇口部分の上には、洗ったお皿を置く、水切り台が付いている。

このアパート自体は、この台所+ダイニングと寝室の二部屋のみ。バスルームも小さいけど付いてる。住むには辛いけど、バカンスで来て使うには十分かなって感じかな。でも、寝室部分の天井があまりにも破壊度がひどくて、上の階が半分見えてる状態なので、きっと将来的には義母は改築せずに売りに出す可能性のほうが高いかな。この義母の家の建物も築500年くらいは経っているらしい。なんか、日本の住宅事情からは考えられないね。

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これはこの義母の家の前の通りで、教会のある通りと同じ通り。情緒がとってもあって、なんか「中世の町だわ!」って感じがする。

ずーっと、この旧POLIの入り口まで戻って・・・。
これは1500年初期に公爵が住んでいた建物で、義母が生まれ育った建物。今は区役所になっているらしい。
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建物の裏。
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そこを入って行った所の天井部分。当時のままのペイントが・・・。
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・・・とこんな感じの一日だった。梅ちゃんも車の中で行き帰り一回ずつ位眠くて愚図ったけど、おっぱい攻撃ですぐに寝付いてくれたし、比較的いい子にしてたかな。
ただ、行きの車の中ではおしゃべりな義母が私の横でず~~~~っとしゃべり続けていたのには参った。ただでさえ狭くて窮屈してしんどかったのに、しゃべり詰め+私を乗り越えて梅ちゃんあやしたり・・・(^^;)。

帰りは梅ちゃんが早くに寝付いてくれたお陰で、結構静かにしていてくれたかな。
あ~、他にも書きたいこと有ったんだけど、あんまりにも長くなるし、ちょっとお疲れなのでまたの機会に・・・。
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by honestpumpkin | 2005-04-28 23:33 | イタリアの生活